今日は雨で少年サッカーの練習が中止になった(した?)ので、体育学会体育哲学専門分科会定例会に行ってきました。
会場はお茶の水、順天堂大学。
トップバッターだった研究室の先輩の発表はさておき(!)、次の「身体教育」についてのK先生の発表は面白かった。
博士論文の概要でただでさえ切り詰められていたはずの発表をさらにまとめてしまえば、学校で教育を行う以上避けられない「制度」による拘束・硬直化がある中で、子どもの自主性や個別性にどうアプローチしていくか、という話。
基本的に学校体育に焦点を当てていたのだけれども、まずは現代日本における体育に至るまでの歴史を、その元となったドイツと、近代日本それぞれについて探ることが行われる。
そうしたこれまでのさまざまな試みを詳細に検討しつつ、「制度」といったものの避け難さが提示されていた。
それに対して目指すところは子どもひとりひとりを伸ばしていくことであって、そのためのアプローチは例えば制度改革といったものではダメで、実践場面での取り組みに求められていくことになる。
つまり、「子ども第一」の視点での実践から「制度」についての反省へ向かっていくべきだというのである。
しかも、ここでの「制度」は国がその時示しているものというだけにとどまらず、教師が身につけて自ら顕現化しているものとしての「制度」、もしくは「文化」といったものまで含まれてくる。
その意味で、「制度」についての反省は教師自身についての反省と重なってくる。
学校教育は国の制度の中のものであり、制度から全く脱するというわけにはいかない。
また、教育について考え、研究するという場合に制度論になってしまうことは一般的な傾向であるように思われる。
それに対して、この研究発表では現場での教育にも携わるK先生の実践への態度がうまく提示されていたように思う。
…と説明はしてみたものの、基本的にはサッカーコーチとしての自分の問題意識と重なる部分が大きいから面白かったのだと思う。
「自分で考えられる選手/人間を育てる」ということを考えると、コーチから一方的に教え込むというスタイルは好ましくないのではないかと思う。
かといって、何も教えないで見ているというのもいいやり方ではない。
できる限り準備をした上で、実際に子供たちに向き合った時に「対話」をして、お互いにいろいろ考えられる環境にしていくことが大事だと考えている。
子どもはコーチから学び、コーチは子どもから学ぶ、ということだ。
また、率直に言って、サッカー協会の取り組みは既にこの研究で述べられているようなものを目指しているのではないだろうか。
「Players first!」ということは常に言われているし、リフレッシュ研修制度を作り、オシムを初めとする名指導者らの言葉も引きながら「学び続けること」を求めているのは、実践場面で子どもとしっかり向き合って、常に考え、反省していくためだと理解している。
しかし、そんなに言うほどコーチの勉強をきちんとしていないな、と改めて思う今日この頃。
こんなことを思うというのは、ちょっとはがんばろうと思っている証!?
この発表の後にドーピングと生命倫理に関する興味深い発表もあったのですが、とりあえずこの辺で…。
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